2023年12月12日
歴史を遡り、この日本において「からだ」という呼び方は何時から出来上がったのか?と調べてみると、室町時代以前までは「からだ」という言葉はありませんでした。
では何と読んでいたのか?というと、「身」という事でカラダを表現していました。
「身ひとつで旅立つ」とか「この身を任せて」とか、つまりカラダの健康という考え方ではなく「身の健康」という考え方であったわけです。
身と体の違いはなにかというと、生きている人間を「身」と呼び「体」は殻(から)に接尾語の「だ」を合わせたものでした。
つまり「殻だ」は、一般的に生きた物に対して使う言葉ではなく、屍の様な命を宿さない物を指す言葉だったのです。
「セミの抜け殻」や「もぬけの殻」という言葉でも何となくイメージが付くと思います。
さて、これが何時、どんな理由で身→体(殻だ)へと変化したのかという部分について紐解きます。
「1603年に日本においてイエズス会宣教師が使っていた日本語辞書「日葡辞書」に「からだ」の意味を、死体、むくろ、しかばね、と解説していますが、「時には生きた体の意にも用いる(言語由来辞典より)」とあり、この頃には、体と魂を区別していたと考えられます。いずれ、この方向性で頭から手足の先までの全てを、「からだ」と呼ぶ風潮が現代までのあらすじと推測されます。
世界的に見て、この体と魂及び精神を別々のものとして捉えられる様になったのは、近代西洋医学(現代医学)の発展と重なります。医学は、紀元前の古代ギリシャ時代に学問として定着しました。
他には、同時代にはアリストテレスの哲学、ピタゴラスの数学など、誰もが共通的認識において「証明できるモノ」に、シフトした時代です。
つまり、現代で言うと「論文」に相当するものです。
さて、困った事に、魂や精神は目には見ることが出来ず、学問としては論文化するには難しいものでした。
よって、解剖学の発展から、「身」よりも「殻」としての物体研究を行う方が合理的となったわけです。
この学問として体系化された「西洋医学」が、日本では長崎からオランダ医学として伝わっているため、丁度その時代から身→体と呼び方を変えていったというのが私のシナリオです。
今でも「魂」「精神」の活動については、共通的に証明できるものはありませんよね?西洋医学が主流である医療の分野でも、精神に関しては体とは密接ではあるにしても、専門を科に別けています。
昨今、LGBTQに代表される様に、多様性というキーワードを用いるようになってきましたが、そういう意味では、西洋医学が入り込む前の日本の方が、身=体、魂、精神を含むという意味合いで、多様性を尊重していた様な気もします。
この研究については、かつて東京大学(駒場)において、研究発表をした事があり、その発表時間たるや、なんと5時間!
お題は「体と精神の境界線の探索」です。いつか、源整院でも発表出来ればと思案中ですが、何せ皆さまにご興味を持って頂けるかどうかという部分があって・・・。
今回のメルマガはこの辺で。